今でこそ有名なAPMチャートですが、その原型とも言える物はAPMの確認を主目的とした物ではありませんでした。
APMチャートの原型が始めて歴史に登場したのは、BW(StarCraft Broodwar)が既に熟成記に入っていた時に開かれた有る一つのトーナメントでした。
件のトーナメントはオンライン上で開かれていた上に勝者に賞金が出るということも相まって、只でさえHackerやAbuser(知り合い同士で勝ちを譲り合い順位を稼ぐ)が横行していたBW界の中でも屈指のCheat合戦が繰り広げられた(らしい)のですが、それでも流石は賞金付きトーナメント(当時はプロの出始めで、賞金付きのトーナメントは非常に珍しかった)。上位に残ったのは当時のUSAやCanadaのトッププレイヤー達。
決勝トーナメントは順調に進み(詳しくはしらんw)、決勝に残ったのは当時のCanadaのTopプレイヤー、韓国のプロチームとも契約間近だか交わしたかのSmurft。対する相手は知らん忘れたどうせここでは重要じゃないしw
試合はSmurftの勝利で幕を閉じ、リプレイが公開された。だがそのリプレイを目の当たりにした大衆はある疑惑抱く。
「Smurftにしては上手すぎじゃね…?」
当時Smurftは韓国プロに加入したため韓国在住、そして彼のルームメイトには当時韓国のトッププロプレイヤーのProtoss使いが居た。
勿論当人は固く否定した。事がばれれば大スキャンダルになるからだ。
疑惑が疑惑を呼んだが関係各者は硬く口を閉ざし、事は有耶無耶になるかと思われたその時、一人の暇人が現れた。
「Smurftのこれまでのリプレイとその疑惑の決勝のゲームのリプレイとでは、奴のHotkeyの使い方が明らかに異なる。その上最初の1分間(だか三分間)の総行動量が違いすぎる」
ここで注釈しておくが彼が使っていたAPMチャートの雛形とも言えるプログラムは今の洗練されたAPMチャートとは違い、あくまで行動の羅列が時間帯と共に表記されているだけの味気ないものだった。w3chartの左下部分が延々と続いているだけの物、と言えば解るだろう。
つまり彼は幾つものSmurftのリプレイの最初一分間の彼の行動表を延々と調べ続けたという訳である。見上げた根性と言えよう。
つまりこれがAPM、Action Per Minutes(毎分行動量)がAPMと呼ばれる所以である。
この未曾有の新兵器の登場によってSmurft及びその擁護陣営は窮地に立たされることになる。苦し紛れに放った「Smurftはその試合だけ違うHotkeyを使ったんだよw」や、「Smurftは韓国に行って(急に)上手くなったんだよwww」等の言い訳は、疑惑を確証に変えつつあった当時の大衆にもはや何の効果も示さず、遂にSmurftが賞金欲しさに決勝で韓国プロに代役を頼んだことが暴露されたのである。
この事でSmurftのStarCraftプロ人生は、韓国で一戦もプロとして試合を行う前に終幕を告げることとなる。が、それはこの際どうでもいいw
祭りは終わり、大衆の手にはAPMチャートの雛形のみが残った… それも余りの使い勝手の悪さに徐々に廃れるかと思われたその時、また新たな暇人が颯爽と現れた。
そして彼の手によって、かの有名なSCchart、w3chartが世に産み出されたのである…
P.S. やばい、アカウントネームSmurftじゃなくてSmuftだ確かw